『スワップ・スワップ 伝説のセックスクラブ』

以前、『細菌列島』を観た新宿の明治通り沿いの映画館で観てきました。

映画の内容は、まさにタイトルの通りのドキュメンタリーです。1970年代、ラリー・レビンソンという人物がニュー・ヨークで開いた『プレイトーズ・リトリート』と言う名前のカップルズ・クラブの盛衰を描いたものです。プレイトーズ・リトリート(「プラトンの隠れ家」という意味)には、プールがあり、ダンス・フロアがあり、そしてマットが敷かれた広いスペースがあります。このスペースは、当時「スイング」と呼ばれた、カップルのスワッピングのためのスペースです。

プレイトーズ・リトリートは、勃興期においては、非常に人気のスポットであったようで、劇中で当時を振り返る人々の証言の中には、サミー・デイビス・ジュニアやリチャード・ドレイファスなどの人物の目撃談も登場します。当時は同性愛者向けのクラブが殆どであった中で、「ストレート」の人々がセックスを楽しむクラブは異色で、瞬く間にニュー・ヨークの話題のスポットとなり、政治家や議員と言った人々から学生まで、ありとあらゆる職業や階層の人々が集ったと言われています。

映画は、当時、まさにそこで、コカインを吸い放題で、フリーセックスをし放題だった人々や、支配人をしていた夫婦などが登場して、時系列にクラブの盛衰を証言する場面が進行する一方、当時の画像が挟み込まれて紹介されます。当時ソーシャル・ワーカーだったという(一見、大人しそうな)中年女性が、まるで夢の中の出来事でも話すかのように、初めてクラブを訪れて服を脱ぐのにも抵抗感があったのに、すぐ後には、隣に座っていた見知らぬセックスの上手な男性と性交して、とても良かったなどと想い出を語ります。

「キング・オブ・スイング」と呼ばれ、テレビにも頻繁に登場していたラリー・レビンソンは、「愛によって結婚しても、1人の結婚相手としかセックスできないという枠があるから、相手に嘘をついて浮気をしなくてはならなくなる。21世紀の恋愛の形は、恋愛とセックスを分けて、セックスだけを色々な相手と楽しむことになる」と主張し、自らもクラブで一晩に(証言によると)10人以上の女性とセックスしていたと言います。ラリーが「恋愛とは別」と考えるセックスを追求して行く一方、ラリーのパートナーであるメアリーは、テレビ番組のインタビューでは「ラリーを愛しているから、スイングしても恋愛になることはない」と言い切っていながら、結果的にお抱え運転手とラリーとの間で三角関係になり、暴力事件へと発展し、消えていきます。結局、ラリーは最大の理解者であるはずだった女性に見放されるのです。

クラブの衰退は、エイズの流行によるものだろうと映画評を観て想像していましたが、他にも多数の複合的な要因がありました。ラリーは、セックスで頭がいっぱいと何人もの人間が証言しているように、結局、ビジネスという発想がなかったように見えます。「たったの20〜25ドルの入場料で、食事までバイキングで食べ放題なのだから、“非営利” だ」と主張し、税金を一切支払わないと公言して、脱税で有罪となり8年もの間服役するお粗末さです。

さらに、マットもプールも到底清潔とは言えず、ケジラミが猛烈に流行したとの証言もありました。衛生管理の不備で営業を止められることもあり、さらに当時同性愛者ばかりがエイズになると考えられていたために、「オーラル・セックスとアナル・セックスを禁じたので、エイズ・ウィルスがウチのクラブに入り込む余地など一切ない」などと主張しますが、結果的にこれが致命傷になります。そして、ラリーが服役している間にクラブは、カップルのためのスイングの場ではなくなり、ただの乱痴気騒ぎをするバーと化していき、単身での入場なども許容するようになると、女性の数が足りなくなり、売春婦をサクラで呼び入れるようになります。結果的にクラブは売春の斡旋場のように変貌して行くのです。これも検挙の理由となりました。

前評判で聞くほど、普通の人が折り重なる乱交画像は醜く汚いものではなく、映画『カリギュラ』などの乱交場面などと同程度の印象で見ることができます。むしろ、この映画で考えさせられるのは、このクラブを(HIVの定期的検査を条件とした)簡単に入会できるスイングクラブとして、当然衛生面などにもきちんと対応して、しっかりとビジネスとして運営していたらどうなっていたのかと言うことです。

スポーツ新聞などで噂される芸能人などが集うという麻薬パーティーや、これまたスポーツ新聞などで広告が出ている「オトナのパーティー」など、結果的な「乱交の場」は、国内のみならず、様々な形で各文化に存在するように思います。しかし、カップルで行くことをルール化して、スイングのみにした場合、一般に開放しても尚、どの程度普及し得るのか、私にはまったく想像が付きません。証言の中では、「どうしても嫉妬が起きるので、プレイトーズ・リトリートに行く時は、遊び相手の女を連れて行くべきだ」と言う意見が数度登場します。『美代子阿佐ヶ谷気分』の感想でも書いた通り、合理的に考えた時、特定の女性との恋愛とセックスを計るため、スワッピングをするという発想自体は、十分頷けるのですが、やはり、私ならそこに至らないように思います。そして、単にセックスするだけの楽しみであるなら、風俗なりマスターベーションなりの道を模索する方が、変に相手に気を遣わなくて済むものと思います。

野外で麻薬とセックスにおぼれる人々が多かったウッドストックと並べて懐かしむ証言が出ている通り、劇中、「プレイトーズ・リトリート」は、今となってはあり得ない青春時代の想い出として扱われています。今生きている現実では否定されるべきであっても、当時の私は若く、時代の雰囲気もそうであったので許されるといった風の、「無責任感」が、やたらいやらしく感じられる映画ではありますが、逆にその時代の風俗をきっちり描き出している貴重な作品でもあります。記録映画としての価値で、DVDが出たら買ってしまうことでしょう。